一緒に居ると疲れるようになった友人との関係

日々の暮らし

年々、人付き合いが億劫になってきている。
最近の私は小さな小さな人間関係の中だけで暮らしている。
元々、友人が少ないタイプのくせに、更に人間関係を縮小してどうする、私…!?
これでは流石にヤバいと思いつつも、今の自分にとっては最善の選択である気もする。

頑張ってまで、無理してまで、人と付き合う必要って果たしてあるのだろうか?

一度でも億劫に感じたことを頑張る必要はない気がする。

そんな感じで人との付き合い方について、昨年から今年に掛けて、いろいろと思うところがあった。

職場に関しては付かず離れずの距離を死守するように心掛けている。
職場というコミュニティは距離感を見誤ると何かと面倒なことに巻き込まれる。
女性って生き物は3人集まると、途端に関係が複雑になる。
それなのに職場の中に5人、10人と女性が居ると更に関係が複雑化していく。
マウントを取り合いなんてザラで、出し抜く人もいれば、男性に媚を売る人もいる。
女性特有の馴れ合いや、表面上では仲良しごっこを演じてる、腹黒い関係に正直うんざりしてくる。

本音?それとも建前?

頭をフル回転して見極めなきゃならいけないから大変だ。
善意だと思って素直に受け取ると酷い目に遇う。
見せかけだけの善意はゴロゴロ転がっている。
逆に優しさにつけ込んでくる輩もいるから足元を掬われないようにに気をつけなきゃならない。
昔と違い正直者は馬鹿を見ることの方が圧倒的に多いこのご時世。
必要以上に気を使い笑顔を作り波風を立てぬよう、腹の中で悪態を吐きながら過ごしてる。
そんな感じだから自然とストレスも溜まるし性格も悪くなる。

この歳になると、よほど気の合う相手と出会わない限り職場の人はどこまで行っても同僚。
そりゃ、若い頃は職場の同僚ともプライベートで遊びに行くこともあった。
その中で本当に気があって、今でも仲の良い友人と言える人が数人いる。
でも大概は転職と共に連絡が途絶えるってパターンの方が多い。
同じ職場で働いていると共有する時間と話題と苦労が仲を深めてくれる。
でも結局は職場という共通の話題がなくなった途端、色褪せる関係の方が多いのかもしれない。
なので大人になった今では、それ以上でも、それ以下でもないフラットな状態で接する方が楽だってことを知った。

そんな職場での要らぬ気疲れのせいで、より一層、人付き合いが億劫になっていく。
故にプライベートまで要らぬ気を使ったり、気疲れする相手と一緒に居るが面倒なのだ。

多少、気分が乗らなくても少し前まで誘われたら出掛けていた。
行くのが億劫なだけで、なんだかんだで行けば楽しいってこともよくあることだし・・
それに会いたいと思ってくれてる友人に対して無碍に断るのも何だし・・
久々だし・・、数少ない友人だし・・
だし、だし、だし、だし、言い訳しながら気持ちを奮い立たせて友人に会いに行く。
そもそも「〇〇だし〜」って思ってる時点で相手に失礼な話だ。
「今度いつにする〜?」って、ワクワクしながら約束してた、あの頃の気持ちは何処へ…
今じゃ何となくや、とりあえずって義務的なものに変わりつつある。

結局、そんな感情で行くもんだから感情の振り幅がデカいのだ。
心の底から楽しかったと思える時もあれば、消化不良に終わり疲労困憊しながら家路に着く時もある。
勝率は五分五分…
いや、最近では消化不良で帰宅することの方が多い気がする。

その友人は随分前に働いてた職場で知り合い、意気投合した。
楽しい時間もたくさん過ごしてきたし、辛い時には互いに励まし合い、いわば同士のような存在だと思ってた。
きっと、この先どちらかが死ぬまで一緒にいるんだろうなって漠然と思ってた…筈だった。

なのに最近ちょくちょく感じる、拭いきれないこの違和感は何だろう?

多分、彼女の根底にあるズルさや、自己顕示欲の強さに辟易しているのかもしれない。
そんな風に感じたが最後、ついつい嫌な部分にばかり目に付くのだ。
これは自分でも悪い癖だと思うのだが、なかなか治らない。

今まで気にならなかった部分が、妙に引っ掛かり会うのを躊躇うのだ。

今までは「ん!?」って思うことがあっても、理解して受け入れよう思えた。
てか、本当は努力してきたってのが正解なのかもしれない。
そんなことを感じる私の方が、おかしいって気付かぬフリをしてきたのだ。

でも私自身、いろんなことに億劫になり、努力や妥協をしないようになった。
そこまでして続ける関係は面倒だし、そこに必要性を感じなくなったんだろう。
要は自分のことでいっぱい、いっぱいってこと。

彼女との付き合いの中で数回、「今言うかなー?そんなこと」って思う出来事があった。
例えば結婚について悩んでた30代後半、精神的に一番キツかった時に言われた一言。
「〇〇君(元カレ)、今は結婚して子供さんも居るらしいよ〜!」
いやいや、それ私に今、言う必要ある?関係ないでしょ!!
なんで元カレの結婚話や子供の話を聞かされてるのかなぁ、私…
それに元カレがどうしてるかって知りたいなんて一言も言ってないし!
てか、キライで別れた相手の幸せなんて1mmも望んでない。
寧ろ不幸になればいい!って思いの方が強いって話だ。(性格悪い)

あの時の言葉は悪気なく発した一言だったかもしれない…
とは思いつつ、彼女のズルところもイヤなところも十二分に知っている。
多分、知ってて地雷を踏んできたはずだ。

そこから、彼女に対して「ん?」って思うことが度々出てきた。
一度、引っ掛かり出すと次から次へと違和感が生じる。
そうなると付き合い方にも距離を置き、少し警戒するようになる。

些細なことの積み重ねは、やがて大きくなる。
時間を掛けながらではあるが、彼女に対する思いや付き合い方を考えるようになった。
面倒なことは手放し、身軽になりたいという今の私が出した答えが距離を置くことだった。

ある時、彼女から旅行に誘われたことがある。
10年前の私なら一つ返事でOKだったのに、今の私は即答でこう答えてしまった。
「いや〜、旅行は無理!」
咄嗟に出た言葉がそれで、自分でも少し焦り、あれやこれやと言い訳をする。
人とずっと一緒に居るのが苦手なのよね〜とか、旅行ってあまり好きじゃないのよ〜とかなんとか…
苦しい言い訳。
だって今まで散々、私がいろんなところへ行ってることを彼女は知っている。

もともと四六時中、人と一緒に居るってのが得意ではない。
大好きな彼氏でも、気心の知れた友人でも24時間一緒ってのは、しんどいのだ。
その傾向は年々、強くなる一方で、人に気を使って過ごすのはストレス以外の何者でもない。
そんな私でも若い頃は、そのしんどさより楽しさの方が勝っていたらしい。
旅行でも遊びでもフットワーク軽く、ひょいと出掛けていた。
今から考えると自分でもビックリするほどアクティブだったよな…

ある程度の年齢になり、周りの友人たちも忙しくなる。
と同時に、私にも自分のペースが出来上がり、人との付き合い方が変わったのだ。

ランチや飲みに行く相手は、そんなに長い時間じゃないからまぁ良いかと思える。
1日を通して遊びに行く時は拘束時間が長いので、気心の知れた相手じゃないとしんどい。
旅行となると最低でも1泊2日は、一人の時間が持てない。
そうなると気心の知れた相手の中でも、この人じゃないと無理だなって思うようになった。
これが若い頃は仲の良い友人とだったら誰でもOKだったのにね…

そんな中、唐突に彼女が発した旅行話で自分の心の奥底にある思いに気づいてしまった。
どんなに仲が良かった相手でも、時間の流れや身を置く環境や状況によって思いは変わるって。

この世の中に永遠なんてない。
そのうち私、ひとりぼっちになってしまいそうだけど、それはそれでまぁイイかとも思う。
とにかく自分自身が窮屈にならない人生を送りたいものだ。

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