2022年の抱負って何かありますか?
「自分が主役の人生を生きる」
これが2022年の私の抱負だ。
ここ数年、常々誰かに合わせては何となく遠慮がちな生き方をしてきた私。
それでいいと思える場合もあれば、妥協して他人に合わせてしまっているなんて場合もある。
その方が手取り早かったり、その場を穏便に済ますことができるから自分にとっては都合が良い。
優柔不断で、ここぞという時に自分の思いを上手く言葉で表現するのが苦手な私。
そんなもんだから人との争い事ってのが大の苦手。
端から負ける戦に挑もうなんて、これっぽっちも思わない。
長いものに巻かれて平和に暮らすってのをモットーとし生きてきた。
いわゆる、事なかれ主義ってやつだ。
でもそれって、結局のところどうなんだろう?
人との付き合いの中で、いつも何か我慢や遠慮をしているような気がする…
ここ最近、そんな風に思えてくることが多くなった。
それは年齢のせいなのか?はたまた自分の置かれている環境のせいなのか?
とにかく窮屈で窮屈で仕方がない。
そうなると以前は何とも思わなかったことまで引っかかってくる。
そんな感じで積もりに積もったモヤモヤした感情が何かの拍子にプツッと切れる。
途端、いろんなことが馬鹿らしくなり心の中を不平不満が占拠する。
妥協して人に合わせて来た自分に原因があるってのは重々承知だ。
けれど何よりも腹立たしいのは「それでいいと思える」そうやって過ごしてきたことだ。
それでいいと思える場合ってのがクセモノなのかもしれない。
自分自身、気付かぬうちにしてた見えない我慢が忘れた頃に苛立ちや不満へと変化する。
アホな私はそうなってから初めて自分の感情に気付き慌てふためく。
結局のところ何ひとつとして納得してなかったってことに今更ながら気付くのだ。
それでいいと思える場合ってのは「納得はしてない、けれどそれでもいい」ってことなんだろう。
自分で結論を出すのは嫌だし何かあっても責任をとりたくない。
かと言ってそれってどうよ?なんて偉そうに心の中でガヤを飛ばす。
あ〜ヤダ、ヤダ。
事なかれ主義もここまでくると、だだのイヤな人間だ。
自分の主体性のなさが原因。
自分の感情を蔑ろにして人との関係性ばかりを優先して生きる。
まぁ過度な自分ファーストは大問題だろうが、自分ベースで考えなさすぎるのも問題だ。
そうじゃないと他人の一喜一憂に振り回されすぎ疲れてしまう。
自分の感情を抑えて人の機嫌に合わせて暮らしていく。
一体、私は誰の人生を生きているんだろう…
ドロドロの黒い感情が心の中で生まれては消えてを繰り返す。
何か私ばっかり損してるってなんて嘆いてはみるけれど本当は分かっている。
結局のところ、そう仕向けたのは自分。
自分が変わらなければ生きてる限り一生変わらない。
「それでいい」じゃなくて「それがいい」じゃないとダメなんだなぁ、きっと。
今年こそはそれがいいと言える人生、自分が主役になれる人生を送っていければと切に思う。
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