仕事で認められたい
私はあの人より、こんなに頑張ってるのに何で報われないの?
そう愚痴っては踠いてる子の姿を目にすると居た堪れない気持ちになる時がある。
彼女はきっと誰かに必要とされたくて、褒められたくて仕方がないんだ。
どうやら自分で自分を可愛がり労われなくなる病に罹ってしまったらしい。
その穴を埋めるため、自分の価値を見出すため他人の気持ちに敏感に反応する。
他人から注目されたり、大切にされてるってことに固執しているように見える。
側から見ているとそんなに必死にならなくたっていいのになぁって…
今のままコツコツ頑張ってたら、そのうち実力も伴い周りの人も認めてくれるよってね。
まぁ、そう言う私も若い頃は誰かに認めてもらいたくてしょうがなかったのかもしれないけど…
きっと側から見れば空回りな頑張りや主張もしていたはずだ。
この歳になり適度に力を抜くことも覚えた。
諦めることも覚えたし、無理に頑張ることもやめにした。
見えない何かを欲しがりすぎると心身ともに疲弊してしまうから。
人に対して期待することもなくなったし、無理してまで人の期待に応えようとも思わなくなった。
大人になるにつれ、人から褒められる機会はめっきり減るし、褒められても報われないって思えることもよくある話。
もしかしたら、これって諦めからきてるんだろうか?
この歳になると自分の想いがどれだけ強くても、運とタイミングと環境次第で結果がガラリと変わることにも気づいてしまったから。
でも若い頃の自分を重ねてみると、その子の気持ちがほんの少しだけ分かるような気がする。
側から見てると客観的に見ることができ、いろいろと発見がある。
だからこそ、認めてもらいたい一心で踠いてる姿を見ると少し心が痛くなるんだ。
でも、それと同じくらい心の中でモヤっとした感情が起こる。
「めんどくさいな、この子…」って。
余裕がある時の頑張ってる姿はキラキラしていて眩しくて、見てて羨ましくなる。
でも余裕がなくなると、途端に輝きが失われる。
あれっ!?あのキラキラや眩しさはどこへ消えたの?
と同時に、今までの頑張りが妬みや僻みにへと一変する。
たちまち鬱陶しくてドロドロした塊に変わってしまうのだ。
そして冒頭の承認欲求の塊に変貌する。
私は誰からも認められない
こんなに頑張ってるのに報われない
自分の話を誰も聞いてくれない
手当たり次第、誰かを捕まえて不平不満ばかりを口にする。
口を開けば、自分のことを認めてくれない相手の悪口ばかり。
誰かに必要とされたい一心で、無理に良い人ぶってみたり…
見ているだけで、少し痛々しい。
これじゃ、まるで悲劇のヒロインだ。
その結果、徐々に周りから距離を置かれてしまうのだ。
他人の評価ばかりを気にしすぎて自分を見失っている。
自分の欲求を満たしたいがため他人に求めるばかりでは、重たくなるんだよ…
そんな彼女の口癖は「会社を良くするために頑張ってるのに報われない…」
その半分は事実だろうけど、半分は自分の承認欲求を満たすためでもあるだろう。
彼女も私も会社という組織の中では良くも悪くも、だだの駒。
職場環境や仕事内容が合っていたら、それはラッキー。
自分の実力も発揮できるし、他人からも評価もうなぎ登りになるだろう。
そして何よりも自己肯定感が爆上がりし、無敵な人間になれた気がするオプションまでもれなく付いてくる。
どんな状況であれ自分が頑張らなきゃ、自分がしっかりしなきゃって踏ん張るし踏ん張れる。
会社のために我が身を削ってまで無理をする、けれどカラダを壊しても誰も守ってはくれない。
そんなことにも気づけず、ある日突然なにもかもダメになる。
そして何もかも失くしてから愕然とする。
私一人居なくなったって、何一つ変わらない。
いつも通り朝を迎え、通常通り会社の業務は回っていくってことに…
私が居ても居なくても、世の中は変わらず動いているのだ。
そう思うと、適度に力を抜きながら仕事をする方がいいと思えてくるのは私だけだろうか!?
向上心がないと言われればそれまでだし、ふざけるなと思われるかもしれない。
でも実力以上のことを追い求め、他人からの評価ばかりを気にしすぎるのも、疲弊するいっぽうで精神衛生上よろしくない。
ここ数年、仕事のことで散々悩み、自己肯定感が下がりまくっ私が言うんだから強ち嘘ではないかもよ?
人生は、それなりに程々に…
コメント