常識って何だ?
常々、人の道に外れない様それなりに頑張って生きているつもりで居る。
立派な常識人とまではいかないが一般的な常識は持ち合わせてるはず…多分。
しかし今の職場に勤め出してから常識に囚われすぎて何がなんだかよく分からなくなってきた。
みんなが口を揃えて言うのだ。
「あの人は常識がない」
「そんなことも知らないなんて、どうかと思うわ!」
そんなことが日常的に会話の中で飛び交っているのだ。
ちょっとしたことがきっかけで常識的が否か論争が繰り広げられる。
「今日は夕方から雨が降るんだって〜」
そんな日常的会話的なノリで常識を謳った正論だの持論めいた会話が始まる。
常識云々から始まり着地点は、決まって下世話な噂話や悪口で落ち着く。
恐ろしいったらありゃしない。
そんな環境下に身を置いているので正直、訳が分からなくなってきてる今日この頃。
何が正しくて何が間違いなのか?
これは常識の範疇に収まってるのだろうか?
そんなことばかりを考えているので、私の脳みそは常に疲労困憊。
何か少しでもズレたことを言ったりしたら、さぁ大変!
「あの人、こんなことも知らないなんてねぇ…」そう言われかねない。
陰でネチネチ言われるのが目に見えているので想像するだけでゾッとする。
まるで毎日がクイズ番組のパネリストのよう。
一挙手一投足、気が抜けない戦いの日々を過ごしてる。
ここにいる限り、仕事中に心が落ち着く日なんてきっと来ないだろう。
そんな疑心暗鬼な日々を過ごす私。
とりあえずは疑って掛かれ精神で今まで当たり前だったことまで疑いだす始末。
一度立ち止まり、考えに考える。
頭の引き出しを全開にしては、なけなしの知識を引っ張り出し答え合わせをしてから進む。
そんな毎日を送っていると本来なら正しいことでさえ間違っているような気がしてくる。
馬鹿馬鹿しい話だが自分のことすら信用できない状態。
常識に囚われすぎたアラフォー女の成れの果てがコレとは…
非常に情けない。
そもそも今までの中で「常識」云々なんてことが繰り返し会話に出てくること自体なかった気がする。
まぁ棒にも箸にもかからない、よっぽど酷い人に遭遇した時は別ですが…
自分で言うのも何だけど私の周りには、それなりにわきまえて生きている人たちが集まっている。
ガチガチに型に嵌らない。
おバカだけれども、お利口な人たちが多い。
自分の物差しをしっかりと持っている柔軟でおおらかな愛すべき人たち。
そんな人たちだからこそ必要以上に他人に対して干渉しない。
自分の持論や常識も押し付けない。
それが今の私ときたら一日の大半の時間を費やしている場所で「常識」が蔓延っている。
「郷に入っては郷に従え」
そんなこと十二分に分かってる。
私が上手く合わせることができれば全てが上手く行くはずだ。
でもね、あまりにも日常的に常識の押し売りをされるとアホらしくなってくる。
常識が、常識が…
偉そうなことを言ってるけど実のところ誰かと一緒じゃないと不安でしょうがないんじゃない?
そんな風に思えてくる。
はみ出してる人は一先ず除外。
個性的すぎると世間からズレてる人だからヤバいよ、きっと。
自分たちもあんな風にだけは、ならないよう気をつけなくちゃね。
そうやって「常識」と謳いつつ「下世話」なことまで干渉し合う。
自分たちの中の価値観の中で成り立つことだけを正しいこととする。
常識という名の正解をすり合わせては互いに安心し合う。
そりゃ頭の中では分かっているんだけど…
このご時世、はみ出して生きていくのはしんどい。
ましてや大人になるとより一層、人の目も気になるし気にしながら生きていく。
でも凄く窮屈で居心地の悪さばかり感じながら過ごしている自分も居る。
いい歳した大人のくせに青臭いことを言ってるわぁ〜なんて自分でも呆れてしまう。
だけど常識という枠に上手く嵌らないとダメ人間のレッテルを貼られているみたいな気になる。
なんだかんだで結局は常識という枠に雁字搦めにされて自分自身が不自由になる。
自由気ままに生きていたくて選んできたこの人生なのに…
ここにきて私は不自由さを感じてばかりいる。
逆に常識からはみ出さないことを正義としてる、あの人たちにとって常識という名の壁が崩壊した時に不自由さを感じるのかな?
そんなことを思ながら一生分の「常識」を使い切った感がある休日を過ごしている私。
何事にもほどほどに肩の力を抜いて暮らしていきたいと切に願う。
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