今のワタシは生活全般においてダメ人間だ。
40過ぎた人間が「ダメ人間だ」なんて声高らかに宣言するなんて、どうかと思うけれど…
世間から見た40代は立派な大人だ。
そして世の中の大半の40代は地に足を着けしっかりと人生を歩んでいるはずだ。
会社ではそこそこのポジションに就き、ストレスを抱えつつも忙しい毎日を送る。
家に帰れば家庭の中での役割を果たす。
夫婦二人の場合は良いパートナーで居られるよう互いに努力をし癒し癒され生きてゆく。
子どもがいる夫婦は良き母、良き父で居られるよう務める。
そして子どもの成長に目を細めながら一喜一憂し幸せを噛みしめる。
今在る生活を維持していくために辛いことがあれども我慢もするし努力もする。
でも今のワタシには、そんな部分がスッポリ抜け落ちている。
誰かのために何かをしたい訳でもない。
何が何でも守りたいものや、そのために戦わなければならないことがある訳でもない。
自分以外の誰かのために何かをしたり、何が何でも守りたいものや戦わなければならないことがあるってこと。
これって凄く大切なことで自分をしっかり保つために必要なことかも知れない…
もちろんワタシにだって守りたいものはある。
猫飼いのワタシにとって、猫のことは何があっても守ってやりたいと思っている。
猫に幸せだと思ってもらえるよう沢山のことをしてやりたいと常々思っている。
我が家の猫は家の中、平和な環境でぬくぬくと暮らしている。
外の世界を全く知らないし、お腹が空いたらご飯だっておやつだって貰える。
寒い冬には暖かい寝床もあり、暑い夏には涼しい場所も用意されてる。
しっかりと守られた安全な環境の中、快適に暮らしている。
安全な環境や快適な暮らしと引き換えに小さな世界の中で生きている。
しかし人間の世界はいろいろとややこしい。
一歩外に出れば何が起こるか分からない。
大人は無意識の中で自分自身の身を守りながら生きている。
子どもは日々、新しいことをどんどん覚え吸収しながら成長していく。
出来ることが増えていく…その先の未だ見ぬ世界が見てみたくなる。
日々、好奇心との戦いだ。
経験が少ない故に出来ることと出来ないことの見極めが難しいので時として痛い目に合う。
親たちはそっと手を差し伸べることができるように先回りしながら子どもの姿を見守っている。
経験を積ませつつも、なるべく危険な目に合わないようにと…
日々、世界が広がっていく…
そんな人と向き合っていると自身の人間力も次第に向上していくから、自ずと地に足を着けて人生を歩んでいくはずだ。
それに比べてワタシは成長とはほど遠い、ふわふわと浮き足立った人生を歩んでいる。
自分のことだけを考えて生きている。
他人と生活しているでもなく、子育てをしてる訳でもない。
人間力を向上させるには自分の経験のみが頼りなのだ!
たまに痛い目に合えども、それは自分自身の不注意だからしょうがない。
そして、この歳になると新しい経験も新鮮な出来事も現実には、さして起こらない。
外の世界を知らない猫と暮らす生活。
ワタシのやり方とワタシの定めた決め事の中でぬくぬくと暮らす猫を守りながら…
最近の休日はダラダラ過ごす。それも際限なくダラダラと。
好きなだけ眠り、好きなものを食べる。
そして夕方になるといそいそと飲み始める。
誰からも急かされることもなければ、誰かのためにテンション無理に上げたり、気分を切り替える必要もない。
ただただ、自分の気分の赴くままに過ごす。
なんとまぁ自堕落な暮らしなんだろうか…
おまけに外に出るのがあまり好きではないから予定はあまり入れたくないときたもんだ!
自分が作り上げた家族がいれば、大変なことや面倒なことがあっても頑張れるんだろうか?
ワタシにも足枷となるものがあれば頑張れるんだろうか?
休みの日こそ無駄にしたくないから、アレやコレやと予定を詰め込み用事を済ませる。
ひとりだと大変なことや面倒なことはついつい後回しにしたり、最後の踏ん張りが効かなかったりする。
こんなにダラダラと何もせずに無駄に過ごすワタシはきっと根っからのダメ人間だ!
ダラダラするのは悪くはないけれど夕方になると、もったいない気分に襲われるのは何故だろう…?
そんな悶々をした気持ちを抱えながら「サザエさん」流し観しつつビールを飲む。
磯野家とフグ田家は、何だかんだ言っていつも楽しそうだから観てて安心するな…
そして、ほろ酔い気分のなかで思うことは、ただ一つ。
「結局は無いことをウダウダ考えても、どうにもならない…」
それよりも目の前に見えてる景色と今の気持ちの方が大切なのかもしれない。
猫が美味しそうにご飯を頬張る姿を眺めては小さな幸せを感じている自分。
そんな何気ない日々の光景でも幸せに思えた自分に少し安心したりもするのです。
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