光浦靖子さんのエッセイ『49歳になりまして』を読んで…

日々の暮らし

グサッときた。
今のご自身の気持ちを飾らずに凄く率直に綴られているので凄く共感してしまった。そんな光浦さんが素敵でカッコイイと思った。
心の内を曝け出すのって凄く勇気がいることだと思う。ましてや、有名な方なので…

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仕事がない=価値がない
そう思えてしまうのも無理はない。
例えば、仕事が順風満帆でお金に不自由しなくても満たされない気持ちや寂しさは所々に転がっている。
職場での何気ない時に子どもの話で盛り上がる同僚たち。
子どもの運動会の話だったり、ウチの子があんなことやこんなことをして…なんて話が延々と休み時間に飛び交っている。
それはそれで、結構な疎外感も感じたりするのですよね。
旦那の愚痴を散々聞かされたあげく、あなたは独身だし気楽でイイよね的なことを言われてみたり…
むしろ、これから先のことを考えると気楽さなんてこれっぽっちも無いから!
暗がりに放り出されて右も左も分からない。そんな不安感に苛まれることが歳を重ねる毎に増えていく。
誰かに必要とされてるって思えることは凄く大切で心の平和に繋がるんだ。
日々の暮らしの中で、独身だとついつい仕事に対しての比率が大きくなる分、仕事というものを通して自分自身の価値を測ったり、必要とされていたい、誰かに認めてもらいたいという承認欲求が大きくなってしまいがちなのではと思うのです。(ワタシだけかな!?)
なので、仕事で躓いたときのダメージの大きさは計り知れない…(ワタシのことですね)



そして、読み進めていくうちに「光浦さんの気持ち、よく分かる。そうなんだよな…」なんてココでは胸の内を綴っているくせに、リアルな友人の前で出来ないことを素直に認め曝け出すなんてことがまだまだできそうにない。
仲の良い友人に心の奥の奥に抱えている弱い自分を見せることが出来る強さというものを今のワタシは正直持ち合わせていない。それが出来たとき、光浦さんみたくカッコ良くなれる気がする。
まだまだ、しょうもないプライドの方が邪魔をして、背負わなくていい荷物をギッシリとリュックに詰め込み持ち運んでいるのだ。

「ほどんどの人ができることが自分にはできなかった」
光浦さんの言葉でいろんなことが腑に落ちた感じがした。
結局はそこなのよね…
そのことが年々浮き彫りになり簡単に認めるわけにもいかなければ、まわりの人にバレてしまうのが恥ずかしいんだよな。
なので、斜に構えては人と同じなんて嫌だとか格好悪い的な風を装う。
「実は自由奔放に生きるなんて私から最も遠いことなんだ。」
まさにその通りである。
ワタシは自由奔放に生きてますよ〜的に人には見せかけてるけど、光浦さんと同じで自由奔放なんてワタシからは最も遠いことだ。
偽物の自由奔放はいつかメッキが剥がれていく。剥がれて偽物だってバレてしまう前に何とかしなきゃ。

年々、柔軟さはなくなり捻れた考えや捻くれた心はそうそう元には戻らないし考え方も変えられない。
光浦さんが言うよう、そのままでナチュラルに生きていけばいいよな。
「世界はここだけじゃない」
なんて良い言葉なんだ!暗がりの中に放り出されたと思っていたけれど、ほんの少し小さな光が見えてくる。ワタシもここと違う世界を見てみたい。
今までやりたかったことや出来なかったことが、いっぱいあるのでワタシも、もうひとつの人生を回収していきたいと思う。
ダメになる前に、壊れる前に…


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