大人になると俄然、人から褒められることが少なくなる。
そして例え褒められたとしても両手をあげて素直に喜べない自分がいる。
「本心からそう思ってる?」なんて思えて少し疑ってかかったりする。
そして褒めてくれた相手が相手ならば更に捻くれた捉え方をしてしまう。
「ひょっとして、ワタシのことバカにしてる?」なんてね…
小さかった頃は些細なことでも親や周りの大人が褒めてくれた。
絵が上手に描けたであったり、お手伝いをしただけでも褒めてもらえた。
例えば母親からおつかいを頼まれ、近所のお店に買い物に行く。
お店のおじさんやおばさんに「お手伝いしてエライね〜」なんて褒められる。
それだけで少し得意げな気分にすらなったものだ。
それが年齢を重ねる毎に褒められることが少し照れくさく、くすぐったいものに変わってしまった。
そして、その何とも言えぬくすぐったい気持ちがワタシは苦手だったのだ。
そんな感じだから思春期を迎える頃には、わざと突っ慳貪な対応を取ったりしたものだ。
「別に〜」
「それがどうしたの?」
そんな態度を取ってばかりいると母親からは可愛げがないだの、素直じゃないだのと言われる。
そう言われると思春期で反抗期真っ只中なワタシは、より頑なに「別に〜」って態度を取ってしまう。
そんな頑なな態度のワタシにエリカ様もさぞ、ビックリだろう…
「別に褒められたくないし〜」だの、「褒められたからって喜ぶほどガキじゃないし〜」
なんて、今から思えば実に捻くれた子どもだったなワタシ…恥ずかしい黒歴史だ。
あの頃の自分
本心では褒められて嬉しかったのかもしれない。
でも、一度捻れてたものは真っ直ぐには戻らない。
捻れて、捻れて、捻れた先は、どんなに頑張っても伸ばしても明後日の方向を向いてしまう。
斜に構えて物事を捉える癖はなかなか元には戻らない…
大人になった今
少し照れくさくっても、くすぐったくてもイイから褒めてもらいたい。
冒頭にも書いたが、褒めてくれた相手によっては未だ素直には受け取れない気はするけれど…
でも、些細なことでも良いので誰かに褒められたいのです。
アレやコレやと理由をつけては長年、褒められては否定することを繰り返してきたワタシ。
そんなことを繰り返しきた結果、いつしか自己肯定感が低くなってしまった。
誰かが褒めてくれたことを、ありがたく受け入れる。
それができていれば、もっとポジティブに物事を捉えることができただろう。
成功体験の積み重ねが自信に繋がるのだろうな…
いろいろなことをぶった斬ってきた代償は、ネガティブ思考と何かにつけて自信の無さからくる劣等感。
不思議なことに自分は褒められのは苦手なくせに、人の良い部分は意外と素直に褒めることができるワタシ。
そして、ふと思ったのだ!
褒められた時、大人の人たちはどんな反応をするのだろうか?
見てるこっちが清々しい気持ちになるほど、素直に受け取る人。
謙遜しながらも受け入れる人。
特に謙遜しながらも受け入れるタイプの人の方が、なんとなく自己肯定感の高さが垣間見える気がする。
そして両者ともに成功体験をしっかり積み重ねてきているので根底には自信がある。
自分で自分のことをしっかり認めてあげているのだ !
バケツの中に自己肯定感と言う名の水は溢れんばかりに溜まっている。
例え、バケツの外に溢れでても次から次へと溜まっていく。
その安心感からくるのか、人としての余裕や佇まいが堂々としている。
褒められ下手なワタシ。
成功体験はあれども、それは独りよがりの成功体験かもしれない…
なんて、そんなことばかり考えてしまう。
誰かが認めてくれたことをしっかりと受け止めてこなかったから自信が持てないんだよな…
ワタシの中のバケツの水は溜まることがない。
それどころかバケツに小さな穴が空いているので、永遠にバケツが満タンになることがない。
側からみれば、今のワタシは人としての余裕もなければ、佇まいもなんだか頼りなく見えるはずだ。
今からでも間に合うかな?
これからは褒められたら、ありがたく受け入れてみよう。
少し世界が変わって見えるかもしれない。
その時には自己肯定感が少しは高くなってるかな?
その時には自分のことをしっかり認めてあげられるといいなぁ…
でも先ずは、誰でもイイからこんなワタシを褒めてくれないかなぁ!?
それとも先ずは、自分で自分を褒めてみようかな?
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